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木戸孝允について語る

1 :日出づる処の名無し:2006/01/10(火) 21:53:07 ID:qSDcr/rT
地域社会だった日本を中央集権の近代国家にした人です。
国家神道による天皇を中心とした民主主義国家を目指していたらしいです。
また征韓論には反対で西郷を政府からおい出した人です。


56 :日出づる処の名無し:2006/01/24(火) 11:23:40 ID:C9JxZqEg
徳川幕府が統一した日本。そんな日本に対する長州人の恨みは深く、
毎年正月には恨みを確認する儀式を全裸で行うのが慣わしであった…

57 :大陸浪人:2006/01/24(火) 11:33:19 ID:RerSoOZ7
「して倒幕の儀は如何に」
「時期尚早なるべし」
と毎年繰り返していたげな。


58 :日出づる処の名無し:2006/01/24(火) 14:18:17 ID:IT8guJfC
200年も金品を地中に埋めつづけながら儀式続けてるんだから
セコイとしか言いようがない。 

59 :日出づる処の名無し:2006/01/24(火) 19:13:47 ID:OSeu5LoP
桂とか乃木とか児玉とか、戦国時代から出てきたような名前が世界を相手に戦うんだからやっぱり近代史は面白いわ。

60 :日出づる処の名無し:2006/01/25(水) 01:06:12 ID:UeUWQKAc
長州といえば松下村塾。
どんな英才教育を行ってたのかと思いきや、その内容はかなり適当だったようだ。
校舎は松陰の家、時間割は無く各々好きかって松陰のところにに行きそこで集まり勉強していた。
授業ないようは松陰の話を聴きながらくさむしりをしたり松陰と一緒にこたつに入り詞を作るなど。
松陰という人は滅多に怒る事は無かった。

なぜこれで優秀な人間が出来上がるわけ?

61 :日出づる処の名無し:2006/01/25(水) 01:19:19 ID:T0vyWCPm
あれだよ、バギで言ってたシンなんとか。

62 :日出づる処の名無し:2006/01/25(水) 01:41:43 ID:Tksn8mrP
欧米には、教育とは知識を詰め込むことではなく、点火すること、という言葉があるそうだ。
松蔭ははやくから久坂玄瑞と高杉晋作が最も優れてると見抜いて、
二人のライバル心を煽り立てるように、勉学に努めるよう刺激したという。
松蔭自身は恐ろしいほどのガリ勉タイプだったが、その溜め込んだ知識を弟子に注ぎ込む
ようなことは全くしなかった。
自発的に彼らが目覚めるように、内に秘めたる何かに点火することを心がけたのだろう。

63 :日出づる処の名無し:2006/01/25(水) 17:25:39 ID:3tTxxe6u
大久保スレより転載

285 :日本@名無史さん :2005/11/15(火) 00:50:54
>>283
木戸も大久保も富国強兵、近代化は規定路線かと。
そう日本を大国に育て上げ、外国に負けない国にしたかっただけ。
ただそれを導くのは、誰か、ここが違った。

木戸は民主化により、国民が動かすべきだと判断していた。
だからこそ、国民の平等と対等な義務、そして教育を重視していた。そして議会の早期開催もね。
それにより、国民一人一人の判断力養い、国を背負う権利と義務を身につけてもらおうと思っていた。

大久保は逆に、国民を期待せず、優秀な一部の人間に任せるべきだと判断していた。
その為に、権力を一部の省庁に集中させ、国家が迅速に正しく動かせるために、
国の為に動く、優秀な人間だけに国を任せようとしていた。

大久保にしても、そのシステムに問題があるのはわかっていたはず、
実際木戸が危険性を指摘して反対していたしね。
だけど、当時の日本の実状は、木戸の案を丸のみにしては駄目だとも思っていたはず。
識字層は、人口の三割もいない、教育の行き届いた一部の雄藩や、
武士階層や、都市部の町民のみ。女性になると、1割程度だろう。
このような状況では、そんなのは夢物語と判断しても仕方ない。
また、国民とは、かなり状況に流されやすいし、感情のままに動いてしまうものだ、
その結果国を、迷走、暴走させてしまう可能性もある、というか歴史上結構多いよね。

一部の官僚が、民衆の権利を拒絶し、支配してしまったり、
逆に民衆の支持を受けた、一部の政党が暴走してしまうこともある。
どっちがいいかは、まだわからんよ、どっちにも問題があることだけはわかっているがね。

64 :日出づる処の名無し:2006/01/25(水) 17:28:26 ID:3tTxxe6u
286 :日本@名無史さん :2005/11/15(火) 02:59:35
>>285
そうだな。

木戸=福沢による進歩的なラインによる国家像、
出来る限りの国民すべてを、教育し、賢くして、全員に責任を負わせていこうというライン。
木戸も自由民権運動程、過激ではなかったから、ある程度しか、国民に理解をしめしてなかっただろうけどね。
また、進歩的であると同時に、木戸は、独裁者のような、一人が権力を握るシステム自体を毛嫌いしてた。。

大久保=勝による漸進的民主主義ライン
先に国が方針を決めて、民がある程度賢くなったら、その後で民主主義を。
それまでは、国の方針、大久保の方針には逆らえないようにしておくライン。
とはいえ、ずいぶん後、
憲法の発布を絹布の法被だと誤解した民が多かったという事実からみても、
急激な進歩主義は結局妄想であったのだろうし。

このへん後継の伊藤はなかなか上手かったな。

伊藤は、木戸の薫陶もあり、進歩派に理解を持ってた、
けれども、大久保のような実行力も持ってた。


65 :日出づる処の名無し:2006/01/25(水) 17:29:57 ID:3tTxxe6u
286 :日本@名無史さん :2005/11/15(火) 02:59:35
>>285
そうだな。

木戸=福沢による進歩的なラインによる国家像、
出来る限りの国民すべてを、教育し、賢くして、全員に責任を負わせていこうというライン。
木戸も自由民権運動程、過激ではなかったから、ある程度しか、国民に理解をしめしてなかっただろうけどね。
また、進歩的であると同時に、木戸は、独裁者のような、一人が権力を握るシステム自体を毛嫌いしてた。。

大久保=勝による漸進的民主主義ライン
先に国が方針を決めて、民がある程度賢くなったら、その後で民主主義を。
それまでは、国の方針、大久保の方針には逆らえないようにしておくライン。
とはいえ、ずいぶん後、
憲法の発布を絹布の法被だと誤解した民が多かったという事実からみても、
急激な進歩主義は結局妄想であったのだろうし。

このへん後継の伊藤はなかなか上手かったな。

伊藤は、木戸の薫陶もあり、進歩派に理解を持ってた、
けれども、大久保のような実行力も持ってた。


66 :日出づる処の名無し:2006/01/25(水) 17:30:03 ID:4S1xLfja
ここニュースの板だからよ
日本史の話は日本史の板で。
どうしてもというなら
近代極東軍事に多大な影響を持つ山県有朋あたりにしろ。
桂小五郎なんて内政者。

67 :日出づる処の名無し:2006/01/25(水) 17:31:59 ID:3tTxxe6u
288 :日本@名無史さん :2005/11/15(火) 17:18:03
>>285
>>286
おおむね賛成だが、自分としては、ちょっと違うな。
まず、木戸は決して急進民主主義ではない。木戸=進歩主義 大久保=漸進民主としているが、実際には
木戸=漸進民主だった。
木戸の主張は、板垣の如く、いきなり議会を開け、民衆に権利を、というのではなく、
まずは、民衆がそれを主張できるレベルまで地道に導いていくことにあった。(この辺は、>>285>>286ともに
知ってるとは思うが)
ようするに、>>285の指摘する国民全体の教養レベルの低さは、木戸自身十分承知しており、この状況を
改善することから始めようとしていたわけだ。
それが、木戸の主張する「民力休養」という考え方である。
実際、木戸自身が、イギリス議会政治を主張する、板垣に対して、「あれは自然と出来上がってきたもので、
それをそのまま日本にもってきて立ち行くわけが無い。」ということを諭しているのである。
木戸は何も、権利を受け入れる下地すらできていない国民に、いきなり実権を与えようとはしていない。
むしろ、実権を与えられた国民が国を暴走させたりしないために、国民に対して、早急に高い判断力などを
つけたかったというべきだ。
それまでは、天皇を中心に一つにまとまった政府が、民を導いていくべき、という考え方で、>>286のいう
大久保=勝ラインと、木戸=福沢ライン(自分は、勝と福沢は詳しくないが)は、目標とする状態については
多大な距離のあるものではない。
>国民とは、かなり状況に流されやすいし、感情のままに動いてしまうものだ
ということが分かっているからこそ、少しでもその害を減らすためには、国民の教育にもっと力を入れるべき
だと木戸は主張するのである。
さて、以上を元に大久保と木戸の違いを考察する。


68 :日出づる処の名無し:2006/01/25(水) 17:33:12 ID:3tTxxe6u
289 :日本@名無史さん :2005/11/15(火) 17:20:36
大久保と木戸の最もたる相違は、
大久保はまずは富国強兵と決めたら、極端に言えば、富国強兵のみで近代化を実現しようとしていた。
木戸は、富国強兵、と決めたにしても、富国強兵+人民の教育、を同時に進めていくべきだ。と考えていた。
もちろん大久保自身も、人民の教育を顧みなかったわけではないだろうが(自分この辺は詳しくない)、木戸
よりは人民の教育に対する重心が甚だ低かった。
なぜ、木戸がここまで人民の教育に執着したかというと、米欧回覧の体験を通じて、
「文明を取り入れる際に、良い所だけ取り入れるというのは非常に難しい。ともすれば手に入れた文明を驕って
より国に害悪をもたらす可能性がある」
ということを、実際に近代文明に触れてきた留学生などの態度を見て実感したのだった。(森有礼などが、こと
さら日本の文化や、文明慣れしていない使節などを馬鹿にし、外国文化にいたずらに傾倒し、それを外国人に
吹聴するような態度をとっていた)
もともと教養あるはずの武士階級ですら、そうなのだから、これを只の国民に当てはめた場合に、日本全体で、
教育を置き去りにした近代化のみを推し進めたとすると、近代化のメリットのみならず害悪ももろにかぶることになる。
ゆえに、なるべく近代化による害悪はこうむらず、近代化の良い部分のみを吸収するには、近代化を推し進める
過程において、同時に人民の教養レベル思想レベルもしっかりさせて置く必要があると考えた。

対して、大久保は欧米回覧において、木戸ほど文明開化についての害悪は意識しなかったようで、富国強兵近代化
のメリットに対して大いに着目し、そのシステムに注目して帰国した。

この二人の欧米回覧の感想の違いを、司馬あたりは、木戸は悲観的、と一言で終わらせているが、実際の後世の
日本の辿る道をみると、悲観的、というより見えすぎていたというべきか。
この二人の感受性の違いが、二人の方針に差異を投げかけたのだろう。
だが、目指す方向それ自体は同じだったために、佐賀の乱、板垣の引っ掻き回し、岩倉の三条弾劾、西南戦争などの
要所において、手を結ぶことになったのだと思われる。


69 :日出づる処の名無し:2006/01/25(水) 17:34:40 ID:3tTxxe6u
291 :日本@名無史さん :2005/11/15(火) 18:22:15
木戸の理念を実現するには国民の負担は大きかったんじゃない?

民主主義的要素もある程度国民の初等〜中等教育が浸透していないと、
一部の知識人の演説会で終わってしまうわけで。
初等・中等の教育機関が充実するのは明治30年代以降で、
しかもその中心は寺子屋から変遷した機関で政府の計画通りにはいっていない。
おまけに一次産業中心の産業構造で西欧列強並の軍事力を整備し、
(数は最低限としても装備の近代化だけを推し進めるにしても)
徴兵制を実施したり軍需産業の振興にも金・技術・組織が必要でそれを一息にやるのも無理。

明治初年の政策は明治初年の国や国民の実状に制約された中でしか実行できん。
でも理念としてはもっとやりたいこと、やるべきことがある。
そういうジレンマに耐えられないのが木戸なんじゃないかと思う。

大久保、伊藤、大隈は理念として木戸ほど崇高っていうか透明感はないけど
現実を受け入れその中で何ができるかしぶとくやろうとしていた感じがする。

70 :日出づる処の名無し:2006/01/25(水) 17:39:55 ID:3tTxxe6u
290 :日本@名無史さん :2005/11/15(火) 17:25:39
まとめると、木戸の民主主義というのは、決して現実を見てないものではない。
むしろ、現実を見ればこそ、早急に人民のレベルを挙げる必要を感じていた。
開国した今、無理に押しとどめようとしたところで、外国文明はどんどんと入ってくる。それが影響を及ぼすのは、
何も知識階級だけではない。そして、その影響は良いものだけでもない。
それならば、入ってきた外国文明の取捨選択を、人民自身が行えるだけの知識と教養を人民に与えなければいけない。
とすると、
>先に国が方針を決めて、民がある程度賢くなったら、その後で民主主義を。
木戸にしてみれば、この方針の<その後で>が大問題だったわけだ。先に近代化だけ推し進めれば、民は賢くなる前
に近代化の悪影響を受けるだろう、ということと思う。
実際、>>286は、下記のように書いているが、このような事態が起きたことこそが、近代化、富国強兵を重視するあまり
人民自体のレベルアップ政策が、外面の近代化と比較して疎かであったことを示してはいないだろうか。
>憲法の発布を絹布の法被だと誤解した民が多かったという事実からみても、
>急激な進歩主義は結局妄想であったのだろうし。

国民の現状を顧みない急激な進歩主義は確かに妄想である。
しかし、木戸の場合は、国民の現状を見てこその『民力休養』派だった。
この辺は、大久保と対立していた、というイメージから混同されがちであるが、きっちりと区別しておくべきだろう。


71 :日出づる処の名無し:2006/01/25(水) 20:23:03 ID:9qblO9IC
>>66
でも、いま日本史板腐ってるからなぁw

72 :日出づる処の名無し:2006/01/26(木) 00:52:35 ID:nCgJyfjW
木戸にしろ大久保にしろどこか弱さを抱えた孤独な英雄って感じするね。
そこが人間らしい。

73 :日出づる処の名無し:2006/01/26(木) 00:55:23 ID:Tv4taaI9
>>71
避難所なのか

74 :日出づる処の名無し:2006/01/26(木) 01:20:53 ID:/BOoBl2r
萩って行ってみるとえらく小さな町だよなあ。
金も人も少なそうだし、よくこんな藩が幕府に反旗をひるがえしたもんだと呆れたよ。
おまけに外国ともまで戦争してるし。
木戸の勇気とか意志の強さってものすごいと思うよ。
あの状況でも幕府に勝てると考えただけでもすごい。

北条時宗も木戸考允も早死にしたけど、あれはきっと
長年のプレッシャーによる心労が原因だと思う。

75 :日出づる処の名無し:2006/01/26(木) 05:29:57 ID:Tv4taaI9
>>54
何度も言うが、道場というのは青年期の教育機関なので、半永久就職スポーツの大相撲というより
学生相撲、しかも横綱は全相撲史上で60数人しかいない頂点なので、単なる級長とは
比較にならない。同じ名手といっても、金メダリストと学年一位を比較しているようなもの。

また他流試合がやっと解禁されただけという、ルール整備も大規模競技も存在しない封建社会で
真の一位の決まるはずもない。

有名人の誇大伝説を鵜呑みにするのもいいが、例えば沖田総司が希代の美少年であったとか
宮本武蔵が箸で蝿を掴んだとか、そういった逸話は伝説として楽しむもの。
噂が先行するのは、
かつてホリエモンが『技術の堀江』といって名高かったようなもの。実際はその辺の新入社員プログラマーに
毛の生えた程度のもの。実権によって噂は独り歩きし、尾ひれに尾ひれが付き話が膨らむ。
言わば、噂の誇大化をする人というのは、有名人のエピソードを借りて自分が自慢したいのである。

76 :日出づる処の名無し:2006/01/26(木) 15:04:32 ID:nv8YvY1v
実際には木戸は司馬に嫌われてるからむしろ過小評価されてる。
というか、高杉以外の長州藩士全員だけど。

77 :日出づる処の名無し:2006/01/26(木) 16:10:50 ID:nv8YvY1v
>>74
金はあったよ。
上にも書いてあるけど、200年間幕府を倒すためにケチを続けて貯めたお金がね。

78 :日出づる処の名無し:2006/01/26(木) 19:12:48 ID:J7JKPbO4
幕府っていうか、いざ戦うとなれば日本中が敵になるわけだし、
さらに長州とはいっても長州藩政府はむしろ佐幕派であったわけで、
討幕派となったのはあくまで木戸が指揮する一部の若手グループにすぎない。
常識では考えられない大胆な挑戦であったことはまちがいない。

79 :日出づる処の名無し:2006/01/26(木) 20:20:51 ID:ydbvi0KN
基地外クレイジーの活躍が大きかったな。
奴を扱いきれるのは木戸しか居ない。

80 :日出づる処の名無し:2006/01/26(木) 23:40:38 ID:j2gx5FZ8
木戸の日記を紹介しているサイト発見。
http://www9.ocn.ne.jp/~picadely/gass/siryou.htm

81 :日出づる処の名無し:2006/01/27(金) 00:48:21 ID:glANqfeV
>>80
これはイイサイトだ。
図書館で木戸孝允日記わざわざ書庫から取り寄せてもらったけどほとんどなに書いてるか分かんなくて、
だからといってすぐ返すわけにはいかず小一時間読んでるフリをしなければならなかった俺にとっては。


82 :日出づる処の名無し:2006/01/27(金) 01:21:46 ID:/gz2KeoB
>>79 高杉晋作?
司馬遼太郎はこの人のこと天才だと言ってるけど、
天才となんとかは紙一重というからね。実際はほとんどそれに近かったのかも。

83 :日出づる処の名無し:2006/01/27(金) 02:29:45 ID:h8SPlz7d
司馬は元々史実を書いているわけではないので。竜馬の話などかなりの部分が創作。
試衛館で出張試合したとか竜馬と決勝御前試合をしたとかは全部脚色。
司馬本も限られた物しか知らないとわからないのかもしれないが、桂の立ち位置は
いい役柄のものと、あまり良くない役柄のものと、本によって異る。(話に薩摩が関わったりすると
作品の空気が荒れ出す)
司馬本はある種のフィクションと考えて読んだ方が良い。時代劇的なデフォルメと認識できるなら
問題無いが。

84 :日出づる処の名無し:2006/01/27(金) 14:21:09 ID:yZvADvvu
>>81
何処に住んでる?東京?
なら何処の図書館か教えて欲しい。
俺が借りに行く。

85 :日出づる処の名無し:2006/01/27(金) 17:26:21 ID:LQb2dpll
>>84
関西の某私大ですw

86 :日出づる処の名無し:2006/01/27(金) 19:42:55 ID:XPdRkTLH
日本国内の大学図書館ならここ↓
ttp://webcat.nii.ac.jp/
でキーワードからどこの大学にあるかまで検索できる。
ただし一般への貸し出しはほとんどができないから、
どこかの大学生でないとたぶん無理です。
(でも図書館内で読んだりコピーなら可だと思う)

87 :日出づる処の名無し:2006/01/27(金) 23:52:00 ID:yZvADvvu
そーか残念。神保町の古書店街にでもいってみるか。

88 :日出づる処の名無し:2006/01/28(土) 01:16:55 ID:7KSt6VqT
日記にときどき死んだ仲間の事が書いてある。
泣ける

89 :日出づる処の名無し:2006/01/28(土) 01:43:10 ID:ARZ7QrIN
この木戸っていうおじちゃんは何をした人なの?
偉い人だったの?

90 :日出づる処の名無し:2006/01/28(土) 01:47:57 ID:RIS9TNr7
とりあえず日本史の教科書を読もう。

91 :日出づる処の名無し:2006/01/28(土) 01:54:28 ID:io7zGled
>>89
何したおじちゃんかって?
>>1に書いてるじゃないか。

92 :日出づる処の名無し:2006/01/28(土) 03:09:32 ID:LiA/CpF7
要するに幕府に最初から正面勝負を挑んだのは木戸だよな。
薩摩も土佐勤王党も後から付いてきただけ。

93 :日出づる処の名無し:2006/01/28(土) 18:52:47 ID:7KSt6VqT
今の日本の屋台骨を築いたのはこの人

94 :日出づる処の名無し:2006/01/29(日) 20:38:34 ID:Kleyx6CB
写真見ると結構カコイイな。

95 :日出づる処の名無し:2006/01/30(月) 17:44:16 ID:PSjVgTLo
ボンベカノン

96 :日出づる処の名無し:2006/01/31(火) 18:39:06 ID:2ddzn5nK
つか攘夷ならおとなりの朝鮮の方が頑張ったよね。
米艦一隻の乗組員全員殺してる。
対して日本は新式の大砲や洋式の軍艦を持っていながら大した損害を与えてないし。
まあその後どうなったかと言えばアレだが

97 :日出づる処の名無し:2006/01/31(火) 18:41:49 ID:++pLsNpR
幕府に最初に挑みかかったのは久坂元瑞だと思うが

98 :日出づる処の名無し:2006/01/31(火) 18:57:50 ID:2ddzn5nK
久坂の主な働きって長井失脚に貢献した事と攘夷戦争の2つだよね。
幕府に戦いを挑む、とは違うような気がする。

99 :日出づる処の名無し:2006/01/31(火) 19:09:30 ID:++pLsNpR
はあ
最初の倒幕戦争である蛤御門で死んだのが久坂なのだが。
"長井失脚"てw
織田信長の飼ってたペットの名前を知ってながら、桶狭間を知らんかのような話だな。
コピペ?

100 :日出づる処の名無し:2006/01/31(火) 19:12:30 ID:++pLsNpR
桂もその戦争から参加してたから、それで桂を引き合いに出してたと思ったら
違ったんかいw

101 :日出づる処の名無し:2006/01/31(火) 19:37:23 ID:/fqo6S7B
学校一の秀才がいざ社会に出ると成功しないことのほうが多いだろ。
久坂元瑞というとその典型を見る気がする。

102 :日出づる処の名無し:2006/01/31(火) 19:57:27 ID:2ddzn5nK
桂は攘夷戦争に参加してないのでは。
蛤御門が倒幕・・・そういう見方もあるかな?

103 :日出づる処の名無し:2006/02/01(水) 00:38:12 ID:32s678g8
久坂より高杉のほうが押さえる所はしっかり押さえてるね
キレてるけど

104 :日出づる処の名無し:2006/02/01(水) 01:54:03 ID:A351v4ly
新撰組の池田屋襲撃で長州藩士たちはいわばキレてしまい、
藩全体が挙兵して幕府に殴りこみじゃという雰囲気になるのだね、
そこではやる藩士達を抑えて沈静化に努めたのが高杉晋作なんだよ。
そして抑止も聞かずにそのまま突っ込んで、自滅したのが久坂や来嶋の蛤御門の変。

ところがいざ長州征伐で幕府が攻めてくると、今度はわずか数十人で電撃的に
夜襲をかけて敵軍艦を沈めてしまう。
・・このように高杉晋作は一見キレてるようにみえて、
常に緻密で冷静な状況分析が裏にある。

105 :日出づる処の名無し:2006/02/01(水) 02:46:19 ID:T4oUWrkK
学校とかはこの時代には関係無さそう。松蔭が死んで久坂が死んで薩摩の急進派も松蔭の弟子も片っ端から
死んで竜馬も中岡も死んで、その上で成立した維新。久坂はどっちかといえば学問というより戦争肌だが。
桂は"癸丑以来の志士"が口グセで初期からの活動を自負、松蔭門下は全員こう。
高杉は最初挙兵中止を説得に行ったが、逆に説得されイケイケで京都まで乗り込んだ。
久坂は切腹したが桂は逃亡して以降、忍者のような生活が癖になる。
来嶋とはマイナーな名前まで出てるな。世代の違ういわゆる"志士"では無い藩政者なのだが。
やっぱ日本史板でやった方がいいんじゃね。wikiかgoogleの写し見てる気分。

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