2ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

  民 社 党  

1 :右や左の名無し様:2005/09/13(火) 04:40:06 ID:l8izpQNg
自民は対朝鮮半島外交が屁垂れ、拉致問題も軽視。
靖国参拝についても、村山談話もどきを引用して参拝するのならヤメロ!
内政についても、小さな政府&アメリカ化志向はどうもね。
大企業優遇とサラリーマン増税は論外だし、
財政や国民年金改革についても、策なし。

民主はとにかく、外交はまったく任せられない。
日本の権益や誇りというものがわかっていない輩が多い。
特に旧社会党と経世会系には、売国奴といわれても仕方ない奴がいる。
内政は自民よりは方向性がマシだが、根拠のない理想論。
民社協会系は日和りすぎだ。
もっと骨のある民社系政治家はおらんのか。
外国には平和主義と日本の誇り、国益を正しく伝え、
また内には社会保障を重視した民主社会主義政策をする。
教育では正しい愛国心と道義心と日本の文化・歴史を教える。
まだやる気のある民社主義者は結集し、新しい「民社党」を結成しろ!

共産と社民と公明は論外。


2 :右や左の名無し様:2005/09/13(火) 10:43:22 ID:WW6dkO9H
民社党って何?

3 :右や左の名無し様:2005/09/13(火) 10:58:08 ID:bhj7NBTV
民社、社民、民主、自民・・・

似たような党名ばっかりだな。

4 :右や左の名無し様:2005/09/13(火) 11:41:32 ID:???
旧民社の議員はよく今の民主にいれるよな

5 :ふざけた奴 ◆Sa5SBMSRMc :2005/09/13(火) 12:26:22 ID:7IXqzzho
民社党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
民社党(みんしゃとう)は、民主社会主義を掲げた日本の政党である。1960年に結成され、1994年に解散した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E7%A4%BE%E5%85%9A

1959年6月の参院選敗北の総括と60年安保闘争の運動方針をめぐって同年10月に社会党右派の西尾末広らの一派が日本社会党から脱党。
更に河上丈太郎派の一部も同調し、1960年1月に民主社会党(みんしゅしゃかいとう)として結成。西尾末広が委員長に、
曾禰益が書記長に就任した。結党時は衆議院議員21、参議院議員12人が参加し、その後も断続的に参加者があり、最終的に衆議院40人、
参議院17人となった。1969年に民社党に改称した。

民社党は、「左右の全体主義と対決」を主張し、社会福祉を早くから政策としていた。国際面では社会民主主義政党が中心の社会主義
インターナショナルに加盟した。党が掲げる「民主社会主義」はヨーロッパの社会民主主義とイコールではないと説明されるが、
違いの具体的内容は詰められなかった。

イデオロギー的には、左翼陣営の中で優勢だったマルクス主義や共産主義の影響を拭い去り、むしろこれを敵視したことが特徴であった。
外交でも反共主義を最優先にしており、韓国・朴正煕政権やチリ・ピノチェト政権など、反共で一致するならば、軍事独裁と批判された
政権でも積極的に支持した。社会福祉も、国防のための軍拡と一体としていた。当然、共産主義国の北朝鮮とは一貫して敵対し、
後年日本人拉致問題で民社党出身者が活躍する素地となった。

つづく

6 :ふざけた奴 ◆Sa5SBMSRMc :2005/09/13(火) 12:27:21 ID:7IXqzzho
結党当初においては安保改定に反対するなど防衛問題では社会党に近い立場を取っていたが、日韓基本条約の批准では自民党に同調。
更にブレーンだった蝋山政道らがまとめた日米安保肯定論が発表された後は、防衛費増額・日米同盟強化の要求が目立ち、時に保守の
自由民主党よりタカ派と評された。また、公明党や新自由クラブ、社会民主連合などの中道政党が伸長すると共に、これら諸政党と
協力する姿勢を取り、それが1970年代後半から1980年代半ばに掛けて党勢回復に結実した。労働組合の分野では、結党当初から
全日本労働組合会議(全労会議)との関係が密接で、1964年に全労会議が全日本労働組合総同盟(同盟)と改組された後も続いた。
特に防衛・電力業界との繋がりが密かで、そのため民社党も、防衛費増額や原発推進に熱心であった。


当初は改憲に消極的で、憲法調査会への参加も見送ったが、やがて集団的自衛権の確立など、再軍備の側面から改憲を打ち出して行くようになった。
この過程で、片山哲らが離党している。

党勢は、結党直後の第29回総選挙で40から17議席と大きく落ち込んだ。その後、1980年代半ばまでかけて追加公認を含めると衆院で39まで持ち直したが、
再び低落し、全般的には小政党のままで推移した。

つづく

7 :ふざけた奴 ◆Sa5SBMSRMc :2005/09/13(火) 12:27:48 ID:7IXqzzho
社会党とは何度も和解の試みがなされ、選挙協力も行ったが、民社党は原発・日米安保容認の「現実路線」を要求するのが常であった。
社会党は民社・公明の要求に従い共産党と距離を置き、「社公民」による野党連携を取ろうとした。しかし、
民社党は1970年代後半から自民党との連携を強め、「自公民路線」と呼ばれた。1989年の参院選、1990年の衆院選で社会党が大勝、
逆に民社党は惨敗した。また、社公民協力のために連合により立てられた「連合の会」統一候補も民社系は軒並み落選した。
このため両者の関係悪化は決定的となった。1992年には公明党とともに与党・自民党の宮沢内閣信任決議案に賛成し、
さらにPKO法案に賛成、いずれも可決させた。しかし内閣を信任しても、自民党から与党として遇されることはなかった。
このため1992年の参院選は野党として戦うが、選挙後連合から自派系議員を引き上げてしまった。1993年、改憲を前提に
「世界平和と憲法問題特別委員会」を設置。第40回総選挙後、細川連立政権に参加し、1994年の羽田連立政権にも参加。
しかし、与党から社会党を排除した新会派「改新」の結成に加わったことで、社会党の離反を招き羽田政権は崩壊。12月、
新進党に参加するため解散。一部は自民党に移籍した。

8 :ふざけた奴 ◆Sa5SBMSRMc :2005/09/13(火) 12:31:14 ID:7IXqzzho
中道新党構想出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中道新党構想(ちゅうどうしんとうこうそう)とは、1970年代半ばに、自由民主党の三木武夫と、
民社党の佐々木良作の間で検討されていた政界再編構想を指す。
護憲派の三木武夫は、自由民主党のハト派の筆頭と言われ、「右の左」と呼ばれた。
佐々木良作は、労働者の権利擁護の立場に立ちながら、共産主義には右翼以上に敵対し、「左の右」と呼ばれた。
現行憲法擁護・政府の積極的な市場介入・親米を維持しながらも、アメリカの世界戦略には与しないことで合意すれば、
構想は容易にまとまると思われたが、当時は冷戦下であり、右と左には越えがたい一線があって、結局日の目を見なかった。
1970年代末には、盛んに新自由クラブとの中道新党を目指したが、新自由クラブは消極的だった。
中道新党が民主党として結実するのは、冷戦終結後であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%81%93%E6%96%B0%E5%85%9A%E6%A7%8B%E6%83%B3

漏れ的に今の民主は最低で売国保守と言う最低な所に居る、本来の中道は新自民党にしか無い、しかし左巻きの所為で
中道=売国奴のイメージも強く最近は中道を名乗る政治家も少ない気がする。

9 :右や左の名無し様:2005/09/13(火) 12:49:20 ID:bhj7NBTV
どっちつかずで結局衰退しちゃったんだな。
名前だけなら70年代も自公民、そして今も自公民。

10 :ふざけた奴 ◆Sa5SBMSRMc :2005/09/13(火) 13:26:58 ID:7IXqzzho
>>9 理解され辛いからね、保守でも共産主義でも無いし、言ってる事は
現実路線だから御花畑な事は言わないし、しかも今じゃ逆転してしまった、
ついでに自公民と言っても連立じゃ無いし。

7 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.02.02 2014/06/23 Mango Mangüé ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)